私が整体師になった理由

突然の出来事

2006年7月31日、「ドン!」と信号待ちで停車していた私は凄まじい衝撃に襲われました。その瞬間、何が起こったのかは瞬時には理解できませんでしたが、突然に後方の車から追突されてしまったのでした。

当時私は、東京で建築資材を輸入・販売する会社に勤めていました。

専門商社時代
東京でのサラリーマン時代(ビッグサイトの展示会にて)

その日は横浜のお客さんとの打ち合わせが終わり、東京都多摩市にある会社へ帰る途中、午後3時頃でした。半分ぐらいまで帰って、赤信号で停車していた私の車に、突然後ろから大きなクロスカントリー車が突っ込んできました。

幸いにもその場でケガはなく、意識もありました。「よし、ケガしてない!、大丈夫!」と外に出てみると、そこで自分の車を見て、初めて追突の衝撃の大きさを知り、信じられない状況に絶句しました。「よくもまあケガ無くすんだもんだ。。。」ステーションワゴンの私の車は、後ろのハッチが開かないぐらいに大きくへこんでいたのです。

警察への届け出や相手との確認などを終え、追突された車を何とか運転しながら会社に着くともう夜になっていました。連絡で心配して待ってくれていた上司に事情を説明、病院は翌日に行く事になりました。

追突されたのは、その時が初めてでした。右の首と肩に打撲のような痛みがあるぐらいで、「どうせシートベルトが衝撃でめり込んだのだろう。検査してもどうせ異常なんてないよ。」と軽い気持ちで病院に行ったのでした。しかしながら整形外科でレントゲンを見て告げられたのは、「首の骨が変形しています」とあまりにもショックな診断だったのでした。

痛みとの戦い

軽く考えていた右の首と肩の痛みは、激痛ではなかったのですが、なかなか良くなりませんでした。上司は「勤務中の事故だから、勤務時間中でも構わないから、病院でしっかりとリハビリをして来なさい」と言ってくれました。こうして最初の内は週5~6日、あとからも週3日は病院に行き、週必ず先生の診察を受けて、リハビリを続けました。

良くなりたい一心で根気強く通い、3ヶ月経った頃には痛みも無くなり、先生にもう終わりでいいですよと言って頂いて、漸くリハビリを終える事ができました。そして事故前の生活に戻り、仕事をバリバリとこなす日々に戻った私なのですが事故から半年経った、翌年の1月に突然痛みのぶり返しが起こったのです!

急いで前の整形外科で診察を受けると、何と首の変形は全然変わっていないというのです!私はてっきりリハビリで変形が無くなったから、先生は終わりでいいと言って下さったのだと思ったのですが「変形したのはもう良くなりませんよ」と後から告げられ更なるショックを受けたのでした。

ぶり返しの痛みは、事故直後よりも強いものでした。悪い事に偏頭痛まで出るようになり、会社でもイライラして仕事をする事が多くなりました。病院のリハビリでは変わらないと知った私は、家や会社の近くの整骨院やマッサージなど色々行きました。更には仕事で中国出張した際には、空き時間に中国式治療術や足つぼマッサージにも行ったりしました。

中国出張
痛みを抱えながらの中国・煙台への出張

しかしながらぶり返しの痛みは一向に良くならず、いろいろなものを受けたにも関わらず、月日が経つと共にどんどん悪くなる一方でした。そんなある日、毎日会社を行き帰りする通勤路で「整体」という文字が目に入り、気になり始めたのでした。

整体のすごさを知りました!

「とにかくこの右の首と肩の痛みを軽くしてほしい!」という気持ちで、整体に行く事にしました。「ずっともう2ヶ月、寝違えたみたいで首を動かすと痛い」「肩の後ろの方もずっと引っ張られているように痛い」、事故の話、整形外科での治療の経緯、今まで色々行った事、どんどん悪くなってきている症状、全てを整体の先生に話し、聞いてもらいました

それから始まった整体。それは今までに経験した事のない、新しい方法でした。その時の感想は『ふわふわ』だったのですが、今までのように強くマッサージされる事もなく、先生の手だけで機械を用いる事もなく、優しく身体を動かされたり、揺らされている間に終わりました。

「え!、もう終わったの?」と思いつつ、先生に言われるように体を起こした時、私の今までの痛みは一気に半減していたのです! 先生にはにっこりと微笑んで「軽くなって良かったですね、今まで辛かったですね」と良くなった私と、一緒に喜んでくれました。

今まで色々なところに行って、こんな20分ほどの短時間でこんなに一気に痛みが軽くなった事はありませんでした。「小牟田さんには整体の方が向いてますね。通ってもらえば、ちゃんと良くなりますよ。」との先生の優しい言葉に「あっ、ここなら良くなる気がする・・・!」私は直感し、先生のいう通りに通う事にしました。

からだ回復院
通うと決めた整体『からだ回復院』(東京都多摩市)

2回目で痛みは更に半減、3回目でほぼゼロに・・・。整形外科でもいろんな方法でも良くならなかったのに・・・。そして私は「この先生なら・・・」と<感じていた事を打ち明ける事にしました。「首が変形していると言われたんですけど・・・・・。」と。

すると先生は「そうですね、正しいカーブを失っていましたね。」と答えてくれたのですが、「え?、失っていた?、じゃあ今はどうなんですか?」と疑問に思った私に、先生は更に「最初は正しい状態ではありませんでしたが、今は整体で首にカーブを入れてありますから最初と今では、首の状態は全然違いますよ」と。

「すごい、レントゲンとか機械とか使わなくても分かるんだ。」、「良くならないって言われてたのが、良くなったんだ!」、と。この時、私は整体のすごさを知ったのでした。

だんだん心魅かれていく

「実は肩コリも酷くて、頭痛もすごいんです。ここ3年ぐらい、朝がすっきり起きれないんです・・・。」事故前からの酷い肩コリ・頭痛がある事も相談してみました。

「一生付き合うしかないと思うのですが、どうにか軽くならないですか?」と尋ねた私に、先生は「そんな(ツラい)の無理に付き合わなくても?」と笑って言ってくれました。肩コリになったらもう一生良くならない、と私は思っていました。しかし先生は、肩コリになる身体を徐々に肩コリにならない身体に変えていけばいいと教えてくれました。

事故後の痛みが良くなった私は、今度は肩コリ・頭痛で通う事にしました。肩コリは頑固で、1回目・2回目の整体では反応が全くありませんでした。それでも先生が「大分ほぐれてきましたね。生活習慣の改善や体操をしてくれていますね。」と、先生からの提案を私が守っている事を私の身体をチェックすることで察してくれていましたので安心して通う事ができました。

そして3回目、「今日もあんまり肩コリは変わらなかったな」と感じて、店の外に出て歩き出した瞬間、一気に両肩が暖かくなり、軽くなりました!私はあまりにも感動して店に戻って先生に感動を伝えたかったのですが、先生は次の方の整体に入ってしまっていました。一人感動を胸に秘め、帰宅したのですが、整体がすごいという事を改めて実感したのでした。

それ以降、肩コリ・頭痛に悩まされる事もなくなり、朝もすっきりと目が覚めるようになったので私は早朝のジョギングを始める事にしました。2週間に1回、3週間に1回、と徐々に整体の間隔を空けながらも定期的にチェックする事、半年。肩コリや頭痛に悩まされる事無く過ごしていました。そして30キロのダイエットに成功!毎朝20キロ走る身体に変身していました。

この間、先生にジョギング後のセルフケアを教えて頂き、毎日実践していました。「この先生、スポーツトレーナーみたいな事もできるんだ・・・!」と私はだんだんと整体に魅かれていくのでした。

「自分もあの先生のように」という決意

整体の魅力に魅かれ通うこと1年。事故の痛みや、酷い肩コリ・頭痛がウソのように快調な生活を私は送っていました。そしてマラソンの大会にも出れるようになっていました。しかしながら父の余命宣告を受け東京での仕事を止め、生まれ故郷の鹿屋にUターンする事を決めました。

私にノビノビと仕事させてくれた会社を辞め、15年間、東京での親のように接してくれた上司との別れも残念だったのですが、何よりもこの整体を受けれなくなることが非常に残念でした。

鹿屋に戻り、ある会社に入った私ですが、東京での会社のように、私の個性が発揮できない事が分かり、これは自分に合わないと、早々に退社する事を決めました。「じゃあこれからどうしよう?」と考えた時に、真っ先に心に浮かんだのは、東京での整体の先生のことでした。

鹿屋では先生のように身体に負担をかけずに、痛くない方法で整体する店がなかったので「自分のように痛みで悩んでいる地元の人たちにも良くなるって事を知ってほしい!、良くなってほしい!私は整体師になる決意をしました。年の瀬迫る、2008年12月の事でした。

青梅マラソン
整体の先生といっしょに参加した思い出の青梅マラソン

苦労した整体の修行

私はすぐに東京の整体の先生、岩部先生にメールして先生のような整体師になりたいとの決意を伝えました。すると岩部先生は自分たちの整体方法への参加を勧めて下さり、そして推薦もして下さいました。ただ私の年齢からゆっくり習得に時間を掛けてはいられないので、短期間で整体師になる為に
一気にするので簡単ではないですよとの事でした。元より厳しくして欲しいと望んでいた私は決意を決め、岩部先生にお願いする事にしました。

2月に会社を止め、その月から岩部先生の元で2ヶ月の修行を行い、4月から整体学校に入りました。

研修時代
緊張の毎日:研修時代

とにかく今までの仕事とは畑違い。人の身体に触れる事などなかった私は、修行や学校でも研修生同士の整体練習で身体に触れる事に緊張して、手は震えてしまい大汗をかいてしまう始末でした。それでも次の修行先の整体院に同じ研修生がいましたので、朝早くからの朝練や学校が終わってからの居残り練習に付き合ってもらえました。

講師叱責
講師からの厳しい指導

整体の技術だけでなく、整体師としての心構えや店を出す際にやるべき事、解剖学の知識など様々な事を学びました。研修生の立場の自分の整体を受けてもらえる機会があれば、研修生仲間と一緒に連れだってとにかく精一杯、一生懸命に整体をしてきました

そうする事で次第に技術が身に付き、痛みを良くする事ができるようになってきました。自信も付き、だんだんと緊張するのも小さくなり、手が震える事や大汗かく事もなくなっていました。こうして修行や勉強を進めながら準備してきた整体師としての一人立ちのスタートの日を迎えたのです。

独立相談
講師に一人立ちの相談

『想い』が『形』へ

 

開店時
2009年8月1日開店時

2009年8月1日、2週間の無料体験期間を経て『からだ回復院 鹿屋』を開店しました。整体院は鹿屋の町で交通量の多い道路沿いにあり、『痛くない整体』という看板が運転している皆さんの目に留まり、興味を持って頂いた、特に女性の方から多くの問い合わせ、来店を頂くようになりました。

決意表明
修了証を手に決意表明

そして2ヶ月後の9月、晴れて整体学校を修了。東京での修行も終了し、自分の整体院だけに集中することとなりました。

あれから9年経ちました。2018年8月1日で当整体院はお陰様をもちまして開店9年を迎えることになります。今までに延べ10,000人以上の方にご来店頂き、また痛みが良くなったと喜んで頂く事でたくさんの方にご紹介を頂ける整体院になりました。

信頼の証
たくさんの笑顔が信頼の証です!~【痛くない整体】で痛みがなくなり、自然と笑顔に~

整体師になりたいと決意してから10年。「自分のように痛みで悩んでいる地元の人たちにも、良くなるって事を知ってほしい!、良くなってほしい!」という想いがようやく自分の目指す形になってきました。

決して変わらぬ『想い』

研修風景
東京での定期的な研修の風景

一人立ちしてからも定期的に東京・北九州に技術の講習に出掛けております。車や電化製品がどんどん進化していくように、整体もどんどん進化しています。一人立ちできる技術を身に付けたからといって、決して満足する事無く、整体師を志した決意を決して忘れずに日々技術の習得に努めて参ります。

長い時には4~5日お休みを頂き、来店者の方々にはご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんが、その分、向上した技術を持ってお返ししたいと思っております。

「自分のように痛みで悩んでいる地元の人たちにも良くなるって事を知ってほしい!、良くなってほしい!」『整体で大隅・鹿屋を健康に』という決して変わらぬ想いで整体させて頂きます。最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございます。

2012年12月21日 小牟田雅和
 (2018年5月24日 最終更新)

 

真剣に
真剣に本気で精一杯